心の成熟_感情から精神へ、そして・・ [人間を考える]

人間は段階を追って成熟する。
  第一段階、感情・・・・「好き」と「嫌い」の世界
  第二段階 精神・・・・事実を確かめて判断する
  第三段階 心情・・・・すべてを受け入れる
  第四段階 意志・・・・ただ一つを決意する

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


1.感情・・・・「好き」と「嫌い」の世界

好き:手に入れよう、近づこうとする
  例えば、人を好きになれば、その人のことを知りたく思うし、近づきたいと思う。
  好意を受け入れて貰えれば、お互いがより近づこうとする営みが始まる。
  しかし、拒否されれば、失恋として自らの気持ちを整理しなくてはならない。
  自分の感情と向き合って、感情に流されない自分を作り上げる作業である。
  それができない場合、相手に付きまとい、ストーカーという状態になる。
  

嫌い:手放そう、遠ざかろうとする。
  嫌いなことや、自分の思い通りにならない事態から逃げようとしたり、
  嫌なこと、直面したくないことの存在そのものを否定したり、無視したり。

  諦め、さぼり、引きこもり、・・・・、究極は自らの命に対する自殺。
  他者に対しては、育児放棄、無視や仲間外れなどのいじめ、・・・・、究極は命を奪う殺人。



この「好き/嫌い」の世界は、人間にとっての原風景である。

食べ物を手に入れ、危険を避けるためには、生存に好ましいものを手に入れ、
生存を脅かす事態からは身をかわさねばならない。
  誤って体に有害なものを口に入れてしまったら、瞬時に吐き出さなければならないし、
  危険な事態が襲ってきたなら、瞬時に身をかわさなければならない。

生命を維持するための基本的な態度であるからこそ、次のような特徴がみられる。

        1.瞬間的な反応である。
        2.習慣として身に沁みついたものである。

素敵だ → 欲しい → 買ってしまう、という衝動買いが癖になってしまうのも理解できる。
だからこそ、そこから脱却するためには、
    瞬間反応せずに、一呼吸おいて、立ち止まって考えてみる。
    習慣に囚われず、いつもと違ったやり方を試みてみる。  
                        というのが有効であることも理解できる。

      自分自身に意識を向けてみる、ということである。



2.精神・・・・事実を確かめて判断する

「好き/嫌い」の原風景から、自分と向き合って、物事を「判断」する段階に進む。

人間の成長段階を考えると、乳幼児の奔放な時期を終えて、学童期を迎える、とでも言えようか。
好むと好まざるに関わらず、決められた時間、決められた席に着き、先生の話を聞く。
先生の話を聞いて、理解して、自分の中に蓄積してゆく。
  国語:読み書きを覚えて、教科書を読み、ノートをとる。
  算数:数を数え、単位という概念を理解し、世の中の計量の仕組みに分け入る。
  社会:家族の外に広がる社会の在り方を学び理解する。
  理科:人間の社会を取り巻く自然の営みや法則を知って視野を広める。

義務教育から高等教育に至るまで、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら学んでゆく。
興味津々で好きな分野がある一方、好きになれない分野では成績も伸びない。
好き嫌いに関わらず、求められる学習を積み重ねてゆかねばならない。
宿題に追われたり、試験に四苦八苦しながら、学ぶやり方を工夫してゆく。
  努力しなければ結果を得ることは出来ない、と知りながらも、
  努力がすぐに報いられるとは限らないし、
  延々と努力しても、必ずしも結果に結びつくとも限らない、と考えてしまう。

好き嫌いと苦闘しながら、やがて、専門分野を選択して進路を決めてゆく。
どんなに優れた人物でも、すべての分野で満足する状態に至る、ということはあり得ない。
それなりに得意な分野が意識され、好奇心もそこに向いてゆくのだから。

万能の人間は存在しないし、知り尽くせない世界に対しては謙虚にならざるを得ない。

        1.自己の相対化。
        2.多様性への畏敬。

この2点が獲得される。

仮説を立て、実験を繰り返しても、望ましい結果を出せない科学者。
材料を吟味し、技を工夫しても、満足の域に到達できない芸術家や技術者。
そんな人たちの姿を想像してみればよく分かる。
  今、何に取り組んでいるのか、状況はどうか、改良の余地はどこにあるのか。
今までの足跡、現状、これからの展開・・・・そんなことを冷静に見つめる。

    つまり、事実を確かめる、そして、判断する、のである。


3.心情・・・・すべてを受け入れる

自分の感情、「好き」や「嫌い」に関わらず、すべてを在りのままに受け入れる。
  例えば、四季折々の幸、海の幸、山の幸に恵まれた日本。
  しかしまた、その国土は、ありとあらゆる天災を人々の上に降り注ぐ。
  恵みに感謝する、と同時に、災禍に耐えて乗り越える、のである。

森羅万象に敬愛と畏怖の念を抱き、山川草木に偉大さを認める心根を育む。
  自然が恵みを与えてくれるから、人々もお互いに恵みあう。
  自然が襲ってくるから、人々は助け合う。
    助け合わなくては生きてゆけない、厳しい風土。


4.意志・・・・ただ一つを決意する

大きな不幸に見舞われ、茫然自失の状態で動けなくなっても、自分は生きている、と気づく。
嘆いていても仕方ない、という気持ちで、とにかく生きてゆこうとする。
  
    失ったものの大きさを受け止めつつ、
        「これが在る限り生きて行ける」という心境に到達する。

人によっては、動けるようになるまで、長い時間を要するだろう。
表面的には動き出せても、心の底では深い傷を抱えたままだろう。

心の奥底に傷を抱えているからこそ、他人の傷に配慮する。
他人からの配慮に感謝しながら、自分自身を生きてゆく。

    もの静かではあっても、優しく、逞しい人間。。。とでも言えようか。


まとめ・・・・個人も集団も同じ

感情、「好き」と「嫌い」の現れは、<奪う>という行為に凝縮される。

  おもちゃを横取りする幼児から、盗み、詐欺、強盗、そして戦争による強奪に至るまで、
  物や金銭を奪うだけでなく、生命や自尊心(例:女性に対する強姦)、そして、
  研究業績や技術、芸術などの創作物に至るまで、騙したり、暴力によって、
     自分の欲を満たすために、<奪う>のである。

    人間にとって、もっとも低い段階である。


精神は、科学の発達を促す。

  西洋が、天体観測の結果、地動説を受け入れてたところから、科学が始まる。
  客観的な論理考証が、科学を進歩させ、技術として時代を前に進める。

    ノーベル賞による、科学への貢献度が世界に示される。


心情は、天災に耐えて生きる人々の心根である。

    日本人は、水に苦労しながら稲作に励んできた。

    精神レベルでの、自己の相対化と多様性への畏敬は過酷な風土から習得した。
        敬語は、自己の相対化の表れであり、
        八百万の神々は、多様性への畏敬の表れである。

  西洋の人たちには、日本の心情は理解できないだろう。
    言語:
      have 動詞の所有概念を中心とした言語では、対象を自分の所有物としか理解しない。
      自己を相対化して、対等に向き合い、在りのまま(存在)を受け入れる、というのではない。
    宗教:
      一神教では、自分たちの神を最高だと崇めたり、他の神を否認したりする。
      心の一番深いところで自己中心になり、多様性への畏敬は生まれない。


意志は、これだけで生きて行ける、という命懸けの決意である。

    《一所懸命》 という一言に込めた祖先の生き様に想いを巡らしてみよう。

    多様性を尊重する姿勢が、決断が鈍い、諦めている、と見なされることもある。
    しかし、一旦、之で行く、と決断した時には、日本人は一致団結して進むのである。

        日本人の、一所懸命を侮るなかれ。
        日本人よ、そろそろ一所懸命を発揮しようではないか。

               感情と心情を、しっかりと、区別して生きよう。

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